今井紀明はアタカマ砂漠マラソン完走に挑戦。標高3,000メートルの山々を、食料を背負って7日間走るレースでした。今井紀明は様々な事情で生きづらさを抱えて生きる日本の若者をサポートするため、完走を目指しました。
2018年9月、新たな挑戦へ。
標高3000メートルの山々を7日間250km走るアタカマ砂漠マラソンへ挑戦しました。
標高3,000メートルの山々を走るチリのアタカマ砂漠マラソン。
僕にとっては経験したことのない標高を、食料を背負って7日間走るレースでした。
前回挑戦したサハラ砂漠とは違い、参加人数も少ないレース。サハラ砂漠マラソンに比べ、参加者数は10分の1程度でした。
身体が重い。息が切れる。
標高3,000m以上の山を走る辛さは、富士山でも経験していたから想像していました。でも重さ10キロを少し超えるバッグを抱えながらこの標高を走るというのはあまりにもきつい。それが初日の感想でした。最初はトップ50以内に入れてまずはいい感じ、走り切るぞ!そんなことを考えながら走り続けましたがサハラ砂漠マラソンとは明らかに違いました。
アタカマはフローズンブロッコリーと呼ばれる硬く尖ったような土の道が延々と続き、岩の道や登り坂、砂漠の山々や川を何度も何度も渡りました。
(写真 フローズンブロッコリー。ここに草木が生えている箇所が5キロも続いたり、非常に走る難易度が高いです。)
(写真 2日目に出てきたのは10キロ近くコース上にある川です。標高が高いため、冷たい。また、防水靴下を履いていましたが、そこに水が入り足がふやけて足の裏が怪我だらけに。防水対策が裏目に出ました。)
少しどろっとしたような塩の道を走り、今度は瓦礫のような岩が転がる道を延々と登る。2日目と3日目はそんな感じでスタートし、なんとか走りきります。
3日目に起こった事件
足の皮が破れ、岩に足をぶつけました。
足がひどい内出血を起こし、医療チームのテントに行き、治療を受けました。
そのときに怪我している足に突然ものが落ちてきました。
「痛い!」と叫びました。
左足の皮が破れたところに大きな医療箱があたり、左足の小指あたりが血だらけになり、ぐしゃぐしゃになっていました
それでも、痛みを耐えて走りました。けれど、結果的に足の痛みを軽減させながら走っていたせいか、4日目に筋をおかしくしてしまい
最後の最後に走れなくなった。それでも4日目はゴールしました。
5日目、足が動かなくなり、砂漠の真ん中で立ち止まってしまいました。
もう走れない。でも、せっかく応援してもらっていたし、昨日も根性で乗り切りました。
でも、走れない。足を引きづる。生まれて初めての僕は最後尾になりました。
それでも、まだ10キロ近くは動き続けて200キロ地点ぐらいまでの地点にはたどり着きました。でも、制限時間がなかったんです。
このまま続けていても、制限時間でアウトでした。
現実的にこれ以上続けても走りきれないことが頭の中でわかり、もがいたけど、最終的にはリタイアを決断しました。
悔しかった。完走したかった。
たくさんの支援いただいた方の顔が頭をかけめぐりました。でもここで退くことも必要かもしれないと決断しました。200キロほど走ってのリタイア。絶対また挑戦すると心に誓いました。
日本に帰国後もしばらく左足の筋は治りませんでした。また、右足も化膿しており、しばらく走ることができませんでした。
完治して考えたことは「また走りたい」
サハラの時、そしてアタカマの時もこういったクラウドファンディングに挑戦して走ることで、半分近い方は今までNPOに関係のない、関心がなくても「今井さんのやっている挑戦を応援したい」と言ってくれて、そのあとD×Pの活動に関わったり寄付で関わってくれるようになりました。
そういう意味では自分だけの挑戦ではないし、またいろんな人を巻き込みたいと思っています。クラウドファンディングで、そしてチャリティーで走ることは一人で走ることではなく、みんなで走る、そしてそれを通しての寄付は様々な高校生たちの就職までのサポートやつながりを提供して、結果的に若い世代に還元させていきます。
そういった挑戦をまたしたい。だから、僕はまた走ります。